傘寿祝賀會

に行ってきた.生憎の雨であった.正確に言うと,
まず最初に帝都車站まで行って,次に御徒町まで
戻って,徒で飴横中央樓まで行って,ハロ署に寄って,
かんにゃ參枚,マノ壱枚の御真影を調達して,それ
からまた徒で御徒町まで行って,それから黄緑さん
と黄色さんで御茶乃水まで行って,それから徒歩で
山頂飯店に到着した.


ハロ署はあんなふうだっけ?寫眞が減った氣がするが,
暫く(半年くらい?)上野には行っていなかったので
記憶がねじ曲がったのかもしれない.冬にNGO
は寄った記憶があるけれど.木公シ甫寫眞は入口付
近に移動していた.ヤススみたいに外に出されるまで
には至っていない.甜瓜とかも寫眞減った氣がする.
逆に,Bと℃は増えた?


ハロ署で信者會の更新手続きができない状態は昨年
と変わっていなかった.なんで澁谷店だけでしか
出来ないのか不明である.やればいいのに.振り
込むのが面倒だし,手數料がかかるので,貧しさ
を加速させている倭國民から毟り取る氣ならば,
そこらへんは抜け目なくハロ署で網を張っておくべ
きだと思う.

  • -

で,山頂飯店での會合は物凄いことになっていた.
蝦夷大學,下総大學,帝都大學,倭國大學の関係
者の集まりであった.すなわち,傘寿の主賓の門
下生,(元)同僚の集いであった.従って,本来は
当方は対象ではないはずであった.会塲で御会い
した何名かの先生からは,tunguska君はどこで
傘寿先生の御指導を?と尋ねられ,その度毎に答
えに窮してしまった.なぜ当方の処に案内が来た
のかは不明である.まあね,もう壱名,安藝國
大學の先生も御来席で,彼も傘寿先生から直接
指導を受けたことはない.なので,何らかの縁者
と傘寿先生が見なされた者には案内が届いたので
あろう.


で,御歴々の祝辞に紛れて,ミンス党の議員も參加
していた.その議員は帝都大で傘寿先生に教えを
受けた人であった.やっぱりアレですわ.


議員は話がうまいわ.


本来,大學教員は話すことが重要な職能であるに
もかかわらず,議員のほうが声を使って意思を伝
達する技術に秀でていた.声が大きいし(怒鳴ると
かではなく,聞きやすい程度に),余計なことは話
しすぎない.途中で何度か笑わせる.最後のまと
めが上手い.彼の話し方は非常に勉強になった.
實際に,その議員が話し始めると,会塲の方々で
起こっていた雑談が途端にになくなり,列席者が
一斉に議員の声に注目するのがわかった.そして,
次には,方々から,流石議員は話し方が上手い,
と褒める声が上がった.当方も最近は授業をして
いないので,話す技術を再度訓練する必要がある
だろう.


會は1500に開き,帰りに手土産(洋菓子)に加えて,
傘寿先生の御著書(直筆署名入り)が配られた.ど
の本が入っていたかは(おそらく)無作為であったが,
ハロ関係の紺のような交換塲は設けられていなかった.

  • -

きぃは当方の青春時代の西木寸矢口美に似ていると思った.
こんなふう↑に,目の下に,宇宙戰艦トの喫水線
下にある紡錘形のふくらみみたいなの
がついている
おにゃのこはとくに好きだ.


すごすぎる.一連のヤマト関係船舶では巡洋艦の意匠が最も痺れる.

  • -