キチガイ

聯想のA1が還ってきた。早かった。月曜に架電し,火曜に佐川君が
取りに来て,金曜に戻ってきた。そして全部初期化されていた。た
だし,再殺のノリ*´ー´リとハo´ 。`ルの画像だけが中央に殘っていた。
なんでだろう?


修理記録は次のとおり。

お客様申告症状を確認し,系統盤,電池不良と判定しました。系統盤,
電池を交換し各試験を行い正常に動作することを確認しました。今後
とも聯想製品を御愛用下さいますよう,宜敷お願いします。


交換部品
PLANAR(11014155); BATTERY(121500028);



系列番號を見る限り,新品交換ではない。

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加えて,背筋が凍る事變が起こった。木曜の講演向けのpptを作っていたら,
赤いXが出た。これは,苹果との遣り取りをした時に,今までも希に起こって
いたが,昨夜はこの赤いXがどんどん増殖し始めた。例えば,ある頁に圖を貼
ったら,先程まで正常だった圖が赤いXになって,別の頁に飛んで戻ってきた
ら先程貼ったばかりの圖が赤いXになっていた。そして,最初の頁に飛んだら,
先程赤いXになった圖が違う縮尺で置き換わっていた。。。
こんな感じで,ppt内部の圖がどんどん死に始めた。そして保存しようとしたら,
何やら警告が出て,保存できぬと。硬盤に異常かもよ,とかいう表示と,加え
て電網が異常という表示も出た。そして電網が外部に繋げなくなった。


これは恐らく硬盤に惡區画が出来たのだろうと思った。普通のchkdskをすると
第弐段階が完了しないので,再起動してchkdsk /rをして待つこと約2h。すると
今度は問題ナシなのか,自動で再起動してしまった。今度は安全様態でchkdsk /r
をして,第四段階の途中まで待っていたが耐えられず,帰宅したら0200時であっ
た。翌朝行ったら,問題ナシとのことであったので,惡區画は修復されたのかと
ひと安心であった。で,件のpptを開き,再度作成を開始したらまた赤いXが出た。
保存して開いたら,さらに赤いXが増えていた。


もうダメじゃわ。そう思って,もっと細かいことをやってくれる軟件
區画の確認をさせておいた。その間,新しい硬盤を調達しようと思った。WDの
500G,7,000rpm,佐田3が6,000円だったので,ポチする寸前まで行った。でも,
70分くらいしてから見てみると,惡區画ナシとの表示。ハテ?帳簿電腦で念のため
同じ作業を最初から開始してみたところ,そこでも赤いXが出始めた。なんと,
元にしたpptに異常があったのか。それを複写して弄っていると,画像が壊れ
始める。何と恐ろしいpptであることか。


なんか變だと思ったのだよ。ふつう,惡區画で死に始める時は,電腦の擧動自体
がおかしくなる。具体的には青画面が出始めて,比較的すぐにダメになる。今回
青画面は一度も出ていない。


で,電網に繋げない件は,職塲の風呂岸が発狂したらしい。向かいの部屋の先生
に聞いたら,時々あるとのこと。なんちゅう粗末な管理なのかと。みかかの人が
出向で入っているのだけどね。


同時にそういうことが重なるとおかしな判断をしてしまうね。


いまこのOptiplex 330子cに旅立たれると困る。査読とか講演とか授業とかがあ
って,一緒に旅立ちたくなってしまうから。

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職塲のtunguskaさん利用の電腦は通し番號で命名されている。
壱は1995年頃調達した,前線神代のものであった。鍵盤は今でもその付属品を使っている。
弐は本郷にいるときに名元から調達したもの。これは英屬哥倫比亞へ行ったが,安藝國で客死した。
參は英屬哥倫比亞で調達したもので,いまは紫峰に置いたままである。地震で落下したが,動く。
四は本郷で調達した倭國電氣の帳簿式。厚くてkz氏に笑われた事がある。これは2001-2年頃安藝國で死んだ。
伍は最期に前線神代から調達した帳簿式の明日臼であった。紫峰へ持っていったが,あまりに遅くて行方知れずになった。
六は二度目に英屬哥倫比亞で調達したもので,安藝國へ持ち帰り,その後紫峰に連れて行った。2008年頃硬盤異常で死んだが,別の硬盤に置き換え,いまtunguskaさん宅で元氣。
七はやはり英屬哥倫比亞で調達した明日臼の帳簿式で,安藝國で活躍した。紫峰へ持っていったが,すぐに存儲器が死んだ。その後修理して今は阿波國で存命。
八は紫峰で最初に調達した出の帳簿式で,今も健在である。
九がそのOptiplex 330子である。現在の主力で,六が死んだ時に調達した。
十はLatitude 4200子で,現在の主力帳簿である。
十一は期待の新人である。4200子が健在なので時々しか電源を入れられていない。


これらはオヒスの電腦である。


實驗室の電腦は覺えているか自信がないが,擧げてみよう。實驗室のものには最初は番號
などは命名していなかった。最初の実験用は,上述壱の前に調達した,倭國電気PC-9821Ap2
であった。大學院のときはこれが頑張った。当時實驗室にあった機種は何だったか忘れたが,
H98が1つだけあった。


その後,このAp2は本郷へ連れて行ったが,加拿大へは行かなかった。しかし,最初に安藝國
で行った實験はAp2だった。これが最期の活躍であった。それからは參に接続された特殊装置
が數年活躍した。この頃,ok氏から譲り受けた前線神代と,同じく前線神代から調達したもの
に松浦,藤本と命名した。この頃,上述の壱,弐も實驗室で使った。藤本,松浦はやがて院生
さんが使うようになり,それぞれの好みに応じて改名された。


2004年以降はptbを使うようになったので,出を調達するようになった。ここで弐台ずつ調達
する方式が確定した。それらはMulderとSculyと命名された。そして次の弐台はDoggettとReyes
と名付けられた。これら4名は全て紫峰で相次いで殉職した。


DoggettとReyesらの後を継いで2007年頃配属された弐台は当初,かがみとつかさであったが,
そのあとさらに弐台来たのでネタが切れて命名方式が変わった。四台あって區別が付かなくなっ
たので,室内の配置順に正面を北として,
伊豫讃岐
土佐阿波
となった。これらは今も健在である。ただ,伊豫が少し調子が惡い。


かがみとつかさの後に,事務用が弐台調達されたが,これらは國名はつけられず,實驗室番號
の411と423と呼ばれた。そのうち,411は212に異動した。


この後の弐台は安藝,出雲とした。これらには7が載っている。


この後の弐台はますますXPが調達不能になったので,ubuntuが載っている。これらは常陸,下総
命名されている。


この後の四台は作業用で,摂津,河内,和泉,播磨となった。しかし,播磨は利用者からの
要望で,出身地をつけさせて呉れとのことであったが,琉球ではなく,宜野灣としてほしい
とのことであったので,琉球特例で宜野灣とした。


tunguskaさんとしては,近所の名前をつけておいたほうが忘れにくいと思う。
たいていは弐台單位で調達するので,空間的は位置に合わせたほうが覺えやす
いので。まあね,摂河泉はそういう單位だから参つ巴でも許す。次は薩摩大隅
にしたい。天伯乃城のある三河を使いたいが,尾張と組むのは(終わりを連想さ
せるので)望ましくなく,遠江信濃と組ませるのかな。でも遠江は長くて言い
にくい。加えて,北側の越前越中越後とかはあまりぱっとしないのでそそられ
ない。岩代磐城も氣分が滅入る。備前備中備後は冴えんのう。壱岐対馬は忘れそう。
加賀,日向,山城あたりは格好よさげ。(艦名としては葛城がもっとも好き)。
それにしても國名を全部使い切る前にはtunguskaさんが死ぬだろう。

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