シナチク(18日頃記入)

何なの彼奴等は。
何なのあの糞ったれは。

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本日は虎乃門で仕事であった。有名人とか来てたのしかった。


で,夜は旧職塲にて宿泊した。自行車を借りて,2012年3月28日まで住む権利の
あった宿舎を見にいった。自殺して,魂が抜けて,ふわふわと漂いながら,霊魂
が自らの死体を確認しに行くのならば,このような氣分になるのだと想像した。
そこは空き家になっていて,郵便受けには目張りがしてあった。外から見上げる
と,窓から見える室内には何もなく,真っ暗であった。確か,2006年の12月にあ
の部屋に入居したのだと思う。入るときは4人であったけれど,出るときは1人で
あった。2006年4月に入った戸建て宿舎があまりにも襤褸だったので,"格下"の
集合住宅に移動したのだった。南向きの,左側の部屋は陽がよく当たって,夏は
暑かったし,冬は暖かかった。右側の洗濯物を干すところから,仔娘。が何か叫
んでいたのを外から見たこともある。風呂塲は内側にある不可思議な造りで,湿
氣が篭もって面倒な住宅であった。それでも,仔娘。がハイスクールへ行く頃はいい匂
いがするのだろうな,と思ったこともあった。でもそうはならなかった。


安藝國を出て何年かして,当時住んでいた宿舎の前を通ったときは懐かしい感じ
がした。そして,旧職塲や,旧オヒス,旧實驗室を訪ねたときはグッときたね。そこ
は母校でもあったし。一方で,紫峰市の旧職塲は辞めてから何度も来ているけれ
ど,懐かしむ余裕は未だ無い。何でこんなところに引っ越してきて,一体そこで
何をして,何で仔等に辛い思いをさせたまま再び引っ越すことになってしまった
のかと,暗い氣分になる。2006年に紫峰市に来たのは,いまの氣持ちのなかでは
後悔している。阿呆な判断をした父親の仔等は御氣乃毒様,ということか。阿呆
の仔は苦勞すると言うことか。それはそれは申し訳なかったね。まあね,轉職は
危険なもので,成功するとは限らないので,当たり前の結果が出たのであろう。
そんなことを,紫峰市に向かう巴士が常磐道の櫻土浦出口を出た当たりでいつも
考える。本日もそういう思考のまま橋の下をくぐった次で降りた。人生チョイスの連
続だから,仕方ないのだけれど。

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旧職塲で旧職塲電信を確認したところ,支那人から鷺電信が来ていた。よくある,
學術會議鷺である。今回も笑った。

International Conference on Frontiers of Mechanical Engineering,Materials and Energy(ICFMEME 2012)



のお知らせであった。そんな,2か月前に募集するだなんてあり得なさすぎる。
引っかかる方が阿呆だ。たいていは存在しない住所から送られてくる。今回は,
基調講演者が面白かった。この人

Ali Abdullah Saleh
だそうで。この名前でググると,北イエメン共和國大統領であった。上の画像で
ググっても行き当たるところはなかった。所在地は懐炉大學工學部で,まあ
それっぽい。でもNational Institute for Standardは存在しない。明日は
早起きだ。

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