一昨日のkz氏とoosakakko氏の評語に対する評語

いま見るととても素晴らしく感じられる。



オカール!!
4'36"の絶好調がとてもよい
たぶん,オカールの声は木公シ甫さんのようにやや低いのがtunguskaさんに
は心地よいのだと思う。

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無題 by kz (2011/06/07 17:55)

余震がないのが大きいと思います。
そして,西の民は,東の民にとっての311後を体験できずおそらく想像もできないのではないかと思います。東の民はもっと西に拡散する方が将来の倭国にはいいんじゃないかとおもったり。


三州吉田 by oosakakko (2011/06/08 16:12)

職場と住居も五月にそちらに移されたのですね。読み飛ばして失礼してました

> 13日: 總監督らは旅立った。tunguskaさんも西へ
ある意味もう一日速いのがベストですが、関東在住者としては最も機敏な対処だったのではないか?と。

私は寧ろ4月に見学に東京と案外ひどい被災だと言う浦安鼠ランドのあたりを見てきました。

世間では「津波てんでんこ」などと悠長な事を言ってますが、「原発事故てんでんこ」でわが子を守るためには機敏で思い切った避難が必要でした。また被災地へいつか戻るなどという発想ではなく、たとい「都落ち」だと感じたとしても移れる場所に敢然と移ってそっちでの仕事の確保というばななはおやつさんの頭の切り替えもリアルタイムで見ていて学ぶ所が大いにありました


余震がないことに加えて,1F1-4から物理的に離れていて,
食糧や水の心配が比較的少ないことが心的健康に良いと思
います。三月の現地では,約5-6時間ごとに何喰ったら危な
いかとか,本日の水のCs値は...とかを氣にしていましたか
ら。


もう一日早い(すなわち12日脱出)のが最良だったのはわかります。
脱藩を決心したのが12日夜にようつべで見た1F1爆発ですからね。
それですぐに妻子の阿波國ゆきの航空券を予約して,13日朝に家を
出た。なので,1F3が爆発した頃はtunguskaさんは丁度彈丸列車に
乗る直前,妻子は羽田を出る頃だったと思います。13日の風向き
を見ると,まあもろかぶりはしていなさそうですが,ナンボかは
吸っているかもしれません。


文殊が逝ったらどこを通って何処へ逃げるのか,わかりませんね。
ひとまず距離を取るのでしょうけれど,三州吉田から阿波國へ行く
には文殊側へ向かわなければなりません。しかし,尾州から西へ
行くのは関ヶ原か伊賀か南紀廻りのみです。上の弐経路は大渋滞
で無理でしょう。南紀廻りも一本道なので混むでしょうし,逃げ塲
がありません。そうなると,風下ではありますが東へ一旦行って,
そこから蝦夷方面か,あるいは兎に角関東以北の地方空港からでも
國外へ抜けて,後日再入國を計るのかな。


再検討してみたところ,伊良湖-鳥羽の航路がある。これで紀伊半島
へ渡って,尾鷲まで行ければ,酷道425,424號から和歌山まで行ける。
そこで舟が出れば阿波國へ渡れますな。緊急時に弐回も舟に依存する
のは無謀。とくに,後者は客満載で無理だろうな。

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