無題 by おかだっち (2010/10/12 15:10)

毛利家ならネェティブになれてたのに...


確かに.

  • -

昨夜は猶太人の結婚式および披露宴に出た.いろいろ新鮮
であった.主催者側(新郎新婦)が割引価格で予約してある
宿所數箇処から送迎巴士が何兩かでて,人々が続々と集ま
った.総勢200名くらいの參列者がいた.やっばり猶太人
は金持ちだと思った.


塲所は郊外の餐庁を貸し切って行われた.庭園に面した大
広間に四方を開けた天蓋が設置してあり,この中に新郎新
婦およびその親たち,祠祭(?)が入り,その他親族等が付近
に寄って儀式が行われた.


男性の參列者は例の禿げ隠し帽のようなものを支給された.
縦長の広間の前方に天蓋を中心とする祭塲があり,その後
方に中心通路の両脇に椅子が並ぶ.前のほうが親族であっ
たので,tunguskaさんは後方に座った.そうしたら,同業
者が沢山集まってきた.新郎新婦ともに同業者なので,自
然と參列者があつまると學術會議會塲のようになる.


祠祭が婚約契約書のようなものを希伯來語で読み上げ,続
いて英語の翻訳が入る.祠祭が大音声で謳ったり,何かを
述べたり.おそらくは聖書の一部だと思う.ときどき阿門
とか言ってたし.


新郎新婦は葡萄酒を飲み交わし(確か弐回),そのあと玻璃
の杯を割る.そういう儀式である.あとは,新郎新婦共通
の耶魯大學教授が基調講演をしたり.


その後,新郎新婦が別室の退いている間,披露宴會塲横の
酒塲でまったりとしてください,となる.tunguskaさんは
こういうのが苦手である.幸い,新罕布什爾州立大学の知
人が數人いたので,そこら辺と話て時間を潰した.此の時
点でまだ2030.あ,ちなみに式は1900から始まった.


披露宴會塲では卓番號はきめられていたが,席は自由であ
った.tunguskaさんの席は新郎新婦大學時代の友人席であ
った.ほとんどが約翰霍普金斯大學関係者であった.學術
會議とかで見たことはあっても話す機會がない人がほとん
どであった.中には,査読で落としたり落とされたりした
人もいた.このへんは御互い様だ.


披露宴は舞踏から始まった.中央に大きく塲所が空けてあ
り,音樂と共に新郎新婦が入塲し,親族と一緒にグルグル廻
り始めた.やがて椅子が運び込まれ,新婦と新郎をそれら
に乗せて持ち上げていた.そういうことになっているらし
い.これを見ているtunguskaさんは,ロマうかを見ている民
間人のような氣分であった.食餌は通常の菜的晚餐であっ
た.


途中で蛋糕を切ったり,新郎新婦が食べさせ合ったり,
祝辞を読んだり,寫眞上映があったりするのは倭國で見て
きた普通の披露宴と似ていた.ただ,あそこまで演出され
てはいなかった.司會とかはいたけどね.


珈琲とかが出てきた時点でまだ2300で,これから舞踊の時
間ですよ.tunguskaさんはハロ系紺ならまだしも,こういう
塲面での舞踊はムリなので困った.まあ,そういう披露宴で
あった.

  • -