川通り餅

先日来客があり,川通り餅を持ってきて呉れた.その取説には
こう書いてある.



毛利氏は大江廣元の子孫と傳えられ、相模(神奈川縣)におこり、
南北朝時代に安藝國に移り、元就のときに大きく飛躍しました。
正平五年(西暦1350年)、元就の祖先である師親が、石見の國の
佐波善四郎との戰いで、江の川を渡ろうとしたとき、水面に小石
が浮かび上がり、鐙(あぶみ)に引っかかりました。師親はその
まま戰い、大勝利になりました。これは神の助けに違いないと、
小石を持ち歸り宮崎八幡宮に奉納しました。
 師親がおさめる安藝國吉田の庄では、これを祝って、餠を小石
に見立てて食べる風習が生まれ、この餠は「川通り餠」と呼ばれ
るようになりました。元就の孫にあたる輝元が廣島城に移ると、
この風習は廣島に廣がりました。



状況がよくわからないです.鐙に石が引っかかったまま戰った
ので大勝利?でも,水面に石が浮かび上がったということは,
水面下に基部があったわけで,それは小石と呼ぶのかね?それ
とも,小石そのものがぷかぷかと浮かんだとでも?だとすると,
それがどうやって鐙に引っかかるのか.

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