指導要領

これも阿呆臭い話である.まずもって,文部省は緩い基
準で大學を増やしておいて,質の管理が緩いとか文句言
うな.文部省もなんやかんや理由を付けて大學に新たに
縛りを課して,管理する口實を作りたいのであろう.
直接文部省から指示するにも大學側から反対が大きいだ
ろうし,實際やるなら予算を付けろとかいう話になるの
で,まずは圧力の方向をやや斜めの位置からかけてみよ
う,ということか.あるいは,最終的には縛りをかけた
いけれど,すぐには無理だろうから,ひとまずそういう
縛りをかける方向へ持って行くための雰囲氣から醸造
よう,という戰術か.通産省も食い込みたいので,中教
審だけからの指令は嫌われ,このような方向性になった
のかもしれない(この記事の参照).
通産省が食い込む見返りに,通産からも大學へ根戸か何
かの形で金出しますから,みたいなことになってるんか
いな.それか,根戸で金出しているのだから,通産省
大學に口出しますよ,ということとか?


役所指導下で大學指導要領なんか作ったら宇宙の笑いも
のである.そんなことをしたら,倭國の學歴デノミネーション
をして,大學と呼んでいたものを郄等學校と呼び替える
べきである.そのような基準を作っても,運用で骨抜き
にされてしまって質は上がらないだろう.


"教育内容・方法、学修の評価を通じた『質』の管理が緩い"
とこの記事にはあるが,これは大學が変えたくても変え
られない構造になっているのであろう.現在,大學生は
3年から4年途中まで,就職活動で相当時間,學業以外の
ことに専念しなければならない.採用側(企業)が大學の
成績を採用基準として殆ど使えないものと見なしている
からであり,實際もそうで,大學の成績は,"この學生は
履修届を4年間毎年期限までに出して,試験に出るか報告
書を出して,卒業單位として必要なものを手引きから探り
当てるか,誰かに教えてもらう能力があります"という証
明にしかなっていない.そのような最低限の保証書でしか
ないので,それ以上の能力の見分けは付けられない.


それでは,本學は成績認定の基準を来年から厳しくして,
選択機関として機能するようにします,と言い出す大學
があるかというと,全く有り得ない.なぜならば,そんな
ことを突出して行った大學の學生だけが成績が惡いこと
になってしまい,その年にはその大學の學生は何処にも
採用されなくなってしまうためである.もしやるなら,
全大學一斉にしなければならず,それも不可能なので,
結局大學からのみ変化させることはできない.問題は
この記事にあるように,大學と文部省(+通産)だけの
話ではない.


また,文部省も大學に指令を出して,學生の就職率を事
細かに報告させているようだ(当方がいた頃は少なくとも
そうだったし,急に取りやめになることはないだろう).
學生の就職対策にどれだけ真面目に取り組んでいるかを
大學の評価基準の1つにしているので,大學も學生に就職
して貰いたいため,惡い成績を出す==その學生に不利に
なるという圖式を避けて,成績評価基準を緩めに設定する
方向へ流れる.従って,文部省が大學に要求していること
は弐重拘束状態を引き起こしているのだろう.


可能であれば,大學の數を減らすのがよいかもしれない.
そうすれば,入口で阿呆が淘汰されるので,最終的な出口
での質は上がる.もちろん,この塲合,淘汰された阿呆の
や,減らされた大學で勤務していた人の持って行き先が困
ったことになるけどね.

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